【美濃焼(みのやき)】織部椿紋俎板皿
商品の説明
【北大路魯山人(きたおおじろさんじん)好み】
【美濃焼(みのやき)】
織部椿紋俎板皿
魯山人好みの器
今、ここに蘇る魯山人の心
「美」と「食」を極致をご堪能頂ける至極の一品
美濃焼(みのやき)/岐阜県を代表する作家・中垣連次
一つ一つ丁寧に手作り・手描きをし、大量生産では真似の出来ない味わいを出しています。
そんな器が毎日の食事を楽しく賑やかなものにしてくれます。
「うつわは料理の着物である」
- 北大路魯山人<1883-1959> -
明治16年3月23日、京都上賀茂の社家に生まれる。
本名房次郎。幼い頃から書道、西洋看板に興味を持つ。
明治37年、東京に移り、同年11月日本美術展覧会に書を出品して一等賞を受賞。書道、寡刻、画家、陶芸、漆芸など幅広い分野で活躍。大正9年に「大雅堂美術店」を開き、そこの常連客に出していた料理が評判になり、会員制「美食倶楽部」を発足。美食家としても名を馳せる。後に「星岡茶寮」を創業。「器は料理の着物である」の信念のもと、すべて自らに創作した食器に、采配をふるった料理が盛り付けられた。昭和34年、76才で没する。
(写真中央)魯山人が焼物の宝庫 瀬戸(愛知県)の地で、やきもの談議に花を咲かせた「清風荘」/瀬戸市赤津町在
(写真右/参考作品)魯山人作品 織部木の葉平向付 1953年
いつもの食卓が高級料亭に変ります。
「器は料理の着物」
美食家 北大路魯山人の言葉の通り、
例えばスーパーやコンビニで買ったパック入りのお惣菜やお料理、パックのまま食べるのでは何だか味気ない・・・
そうだ!この前買ったお気に入りのうつわに盛ってみよう
それだけで、いっそう美味しくいただけます。
織部焼とは・・・
安土・桃山時代の大名茶人、古田織部の好みによって使われた釉薬である。当時は志野、鳴海、瀬戸(瀬戸黒、黒織部、織部黒)も含まれていた。それまでの技法に飽き足らず、色調・文様・形状に技巧を凝らし、「ひょうげたる物」として桃山時代に一大変革をもたらした。現在は黒織部、青織部、赤織部、絵織部を含めて織部と呼び、一般的には青織部のみを織部と称している。
美を極め、食を究めた鬼才、北大路魯山人
その真髄をご堪能になれる和食器えの最高峰をご案内します
お客様を招いてのパーティや冠婚葬祭、
もちろん普段使いにでも。
大変重宝致します。
美濃焼(みのやき)/岐阜県を代表する作家・中垣連次
陶歴など
毎日使う器だからこそ・・・
作家オリジナルの心のこもった温かみのある器で是非お食事ください。
例えば器を一つ変えるだけで、パック入りのお総菜がご馳走に変ります。
一つ一つ丁寧に手作り・手描きをし、大量生産では真似の出来ない味わいを出しています。
そんな器が毎日の食事を楽しく賑やかなものにしてくれます。
商品詳細 産地 岐阜県 サイズ 37×21.5×高さ3cm 手作り品につき多少の誤差はございます 用途 盛皿、お刺身盛り、オードブルなど